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人生まだまだ

Author:人生まだまだ
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物事を安易に考え、無責任に行動し、反省しなくなった風潮が横行する。

今朝は、曇り空の寒い日になった。メジロが群がって、熟し柿を啄んでいたところに、二羽のヒヨドリが飛んで来た。メジロたちは、驚いて、飛び去った。メジロを追い払ったヒヨドリは、我がもの顔に、熟し柿に、嘴を刺しこんで食べ始めた。野生の世界では、強弱の序列が決まっていた。最近の人間の一部も野生化して、第二次冷戦時代が、始まろうとしていた。『どうして』、『なんで』、などと、疑問を持った時、直ぐにネットに頼ってしまう。なぜかと言うと、直ぐ答えが出て来るし、機械の操作が出来れば、知識を得られるからだ。現在、『猫も杓子も』と言っても、時代錯誤と解されてしまうかもしれない、言い換えれば、ここでは、大人も子供もと言おうか、誰もかれもと言おうか、携帯電話の普及でほとんどの人が持ち歩いている。疑問を持ったものに対して、まず、自分なりに考えて見る事をせずに、安易にネット検索に走る。そして、答えを得られると、なーんだそうかで終わってしまうので、ネットを消した瞬間、その答えを忘れてしまう。最近の青年たちを見ていると、器用にスマホを便利に使いこなして、いまや生活、いや体の一部のようになってしまっている。スマホは、確かに利便性に富み、コンピューターを持ち歩いていると同様の価値がある事は認める。しかし、ここで問題は、物事を考えなくなって、自分なりの想像を働かせる能力の低下を起こしているように感じる。先日の新聞に掲載されていた、日本の子供たちの『読解力の低下』が指摘されていたが、何か頷ける点を感じる。日本を代表する人たちも、権力をかさに、思い付きの無責任行動を、安易にもみ消そうとしている。お先真っ暗だ。参考、『猫も杓子も』の語源は、トンチで有名な一休咄(はなし)の説話『釈迦も、達磨も、猫も、杓子も、皆生まれて死んでゆく』が、伝播して行く内に、頭の『釈迦も、達磨も』の部分が抜けてしまったのだろうと言われている。

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下総台地は凍り付いていた。

日の出直前が、一日の中で、一番気温が低いと言われているように、ここ下総台地は、すっかり凍り付いていた。畑から、田圃まで、びっしりと霜が降り、白い大地と化していた。カメラを持つ手が冷え、シャッターを切る指先は、感覚が無くなる程、痺れていた。うっかり手袋を忘れて来た事を後悔していた。川に架かる橋までやって来ると、手すりに宿った霜が、朝陽を受けて、七色に輝いて、まるで、宝石をちりばめたようで美しかった。大気より、川の水の方が暖かいのだろう、陽射しを受けると、川面から靄(もや)が立ち始め、気流によって、左右にふらふらと揺れたり、巻き上がったりしながら流れていた。因みに、俳句などの季語には、春は霞(かすみ)と呼び、秋は霧(きり)と言い、霧と霞は、同じものなのだ。靄は、季語には使用されていない。さらに調べると、近くのものしか見えないものを霧と言い、遠くまで識別出るものを靄と言うようだ。

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一日の始まり、日の出を拝む

澄み切った大気の中、物音すべてを飲み込んだ大地の上に立ち、既にオレンジ色に染まった東の空を望み、その時を待っていた。黒い姿を長く伸ばした丘陵の尾根に沿って、オレンジ色に染っていた空が、徐々に溶ける様に黄ばんで行った。いよいよ、その時が来た。直視できない光を発し、太陽が姿を現し、日の出を迎えた。神々しい朝に思わず、両手を合わせた。日の出を待っていたのは、私だけではなかった。林の中では、鳥たちが、明るくなるのを待ちかねているように、鳴き合い、騒ぎ立てていた。そして、大地全体に、明るい朝を届けてくれた、陽射しを浴びると、鳥たちは、いっせいに動き出した。日の出前、くすんだ赤色を見せていたモミジは、朝陽を受けて、真っ赤に染まり、芝生の緑と、眩しいコントラストを見せていた。2,3日前に、見たことの無い鳥を撮影した。鳥に詳しい友人に調べてもらうと、『コチョウゲンボウ』と言う、猛禽類の仲間の鳥と判った。そんな鳥が、この町で見つかったことに、何か嬉しい思いがした。いつまでも棲み付いてくれると良いと祈った。

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嵐のような昨日の天気から、一転して晴天の朝を迎えた。

昨日の、嵐のような風雨が、本当にあったのかと、疑うような、すっきりと晴れた朝を迎えた。残り柿に群がるメジロが、チィチィチリリィと賑やかに鳴きながら朝食に夢中になっている所を、私の足音で、中断させてしまった。しばらく、その場所にとどまり、再び戻って来るのを、カメラを構えて待っていると、早速、一羽が戻って来て、熟し柿の傍に止まり、暫くジッとしていたが、安全を確認したのか、チィチィと鳴き始めると、先ほど逃げた仲間だろう、5,6羽が戻って来て、また、賑やかな朝食会が始まった。今度は、朝食の邪魔をせず、忍び足で、退散した。メジロと出会った神社から、坂道を下って、川に架かる橋までやって来た。昨日降った雨を集めた川は、いつもより増水して勢い良く流れていた。川を遡り、真っ赤に色づいた『ドウダンツツジ』の生け垣のある公園の入り口までやって来ると、いつもの休憩場所である東屋が見え始めた。今日は、気持ちの良い日になりそうだ。

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後継者のいない農家の今後は?

ウォーキングコースから少し入った場所に、廃屋がある。かつては、ここに生活の匂いがしていたのだろうが、今は、蔦やアケビなどの蔓が絡んで、入り口を塞ぎ、家は傾き、屋根が半分ほど落ち、朽ち果てていた。どんな事情があって、無人になってしまったのかは、分からないが、見捨てられた姿は、哀れだった。しかし、晩秋の頃になると、家の周りに植えたモミジが紅葉し、一年に一度、華やかな時を迎えるのだった。ここで生活をしていた人も、毎年このモミジを眺めていたのだろうと思う時、今は、鑑賞する人も無く、寂しそうに感じたが、寒さを迎え、過ぎ去って行く晩秋の季節の中で、一生懸命彩を添えている姿は、いじらしく感じた。せめて私一人でも鑑賞してあげようと思って、毎年この季節に訪れる事にしていた。最近では、農家の後継ぎが出来ず、子供たちはサラリーマンになり都会へ住居を構えてしまい、年取った親たちは、農業をやめ 老人施設に入居して行き、住む人のいなくなった家が目立つようになった。こうした現象は、我が町だけの問題ではないだろう。人口の減少と高齢化は、今朝の寒さと同様に、身が震える。

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