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人生まだまだ

Author:人生まだまだ
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ウォーキングで出会う鳥たち

私がウォーキングしているコースで、毎朝、沢山の動植物や、人との出会いがある。四季を飾る花々や、その季節だけに見られる、鳥や昆虫たち、水辺では、遡上するもの、そこに棲み付く魚たちや、水草、春に花咲くものたちの、実りの秋、空のキャンバスに描かれる雲の妙味、出会う人々の服装の変化、皆、みんな、私にとって、いや、大きく言えば、地球にとって大切なものたちなのだ。今回は、今の季節に出会う鳥たちを取り上げてみた。人の姿や、物音に敏感で、至難の業で撮影出来た
『カワセミ』、人なつこい『ジョウビタキ』、動き回り、ジッとしていないので、撮影に苦労した、『メジロ』と『ヨシキリ』、木やもののテッペンで、金切り声を上げて存在を示す『モズ』、水辺では、『シラサギ』、『アオサギ』などの姿を撮影出来た。皆、野生のものたちだ。しかし、残念ながら、2,3年前から姿を消してしまった動植物は、二度と戻っては来なかった。


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神聖な朝を迎える時

朝は、まだ産声を上げてなかった。私の前に伸びた、雨で濡れ、薄ぼんやりと青白く光った一筋の帯は、うばたまの夜が、西の国への帰り道、わざと仕掛けた罠なのか、硬くごわごわと生え上がる髪の毛の出た黒饅頭の中に、吸い込まれていた。おどろおどろした湯気を上げ、私を誘っていた。森閑として、何の音無き張り詰めた、大気の世界、前方で待ち受ける得体のしれないものに、一歩ずつ進む足音まで、吞み込まれていた。今、なに一つ動かしてはいけない、神聖な時を迎えていたのだ。やがて、黒饅頭の湯気が、金色に染まり、突然、中から、まばゆい火玉が飛び出した。闇の緞帳がせり上がり、青空が飛び出し、新生朝の登場だ。霊験新たかの後光を頂いたものたちは、生きている喜びを感じながら、目覚め、そして、新たに迎えた日へ、一歩踏み出すのだった。自然が行う朝の行事が終わる頃、あちこちから起こる、生活のリズム音が、心地よく伝わって来る。

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大地は怒り、悲しんでいた。

ブワッと、鼻息荒く吐いたと思ったら、今度は、ハアと消え入るようなため息を一つした大地は、大きく深呼吸をして、勢い良く息を吐いた。大地の発した息は、そのまま霧となり、空と言わず、丘陵も、森も、林も、畑も、川も、民家も、すべてのものを覆い隠して、網膜に映る景色のすべてを奪い取って行った。大地は、絶望のあまり、声も上げられず、悲しみの底から、怒り心頭に達した燃え滾る感情を、腹の底から吐き出したのだった。何をそんなに怒っているのだ。大地は、堪えていた感情を、じわりと滲みださせるように吐露した言葉は、悲しみに満ちたものだった。私の体が壊されていく、長い年月を一緒に過ごして来た木々は、開発と言う名のもとに、無残にも切り倒され、今やソーラーパネルの森と化し、そこに平和な世界を築き、生息していた動植物は、住処を奪われ、やがて、姿を消してしまい、無味乾燥な世界だけが残ってしまった。あらゆるものを育ててきた大地は、嘆き悲しんでいた。

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何故、という問いに

『なぜ、と言う問いに答えを与えようとして人は物語をつくる。幸せのなかに物語はない。』と、ある新聞記事があった。あえて、幸せの物語を作っても、『二人はいつまでも幸せに暮らしました』でおしまいと。実に面白い記事だ。目の前で起こる自然現象に例えれば、日々空に浮かんでいる雲は、実に面白く、何時まで見ていても飽きることは無い。カメラで撮った雲の写真は、その一瞬の姿に過ぎない。その後、その写真を見た時、なぜ、そのような雲が生まれたのか、又その雲はどのように変化していったのか、自分に課した答え探しは、それを証明するために物語をつくり始める。青空に、一点の雲が現れ、どんどん成長を続け、想像するような形になったり、想像も出来なかった形になったりして、驚かせされる。まるでマジシャンの演じる手品を見ている様なのだ。そして、その雲の形を見て、何か恐ろしいことが起こる前触れではないかと、不安を抱かせたり、良いことがありそうだと、吉祥を暗示したりして、見る人の気持ちを動揺させる。結果論を論じる人は、あんな雲が現れたから、あの雲の形があったから、こんなことが起こったのだと、結び付けたがる事もある。毎朝、まだ人々の営みが始まらない時間、空を見上げ、気象状況によって現れる、いろいろな形や、変化をしていく雲を眺める爽快で雄大な空で演じられる、一大スペクタクルは、心躍る思いがする。只、綺麗だなと眺めるだけの幸せ感からは、ストリーは生まれてこない。たまには、早起きをして、空を見上げてみてはどうでしょうか。なにか、物語が生まれるかも。




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大気が澄み透明度を増す

家を出ると、手袋がないと、冷たくて、指先がしびれるほど気温が下がっていた。町の一番高い所に、国道が走っていて、一部から『筑波山』が望める場所がある。大気が澄んで来たこの季節、今、静かに眠りの中にある町の遥か遠くに、雌岳、雄岳がつくる二つの頂が、はっきりと見え、カメラの望遠を使うと、さらに、山頂に造られた電波の中継アンテナまで見つけられた。大気が澄んでいると、透明度の高い湖と同様に、水深が深くなると、水色が濃くなって、青色になっていくように、遠くに望める『筑波山』が、空の水色よりも、深い青色に染まっていた。国道から総合公園に入り、林の中を下って行くと、頭上から一陣の光が注いできた。太陽が、林の上に陽射しを投げかけて来たのだ。辺りが、明るく輝き、光の世界が生まれた。枯れて項垂れていた草々が、息を吹き返したように目覚め、薄暗かった林の中で、スポットを浴びた主役のように、眩しい姿で、浮かび上がっていた。

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冬苺(フユイチゴ)

雪国は、例年より降雪が遅いと言われていたのだが、一昨日、寒波が南下して、東北、北海道は、大雪に見舞われ、大慌てをしていた。しかし、我が町は、気温は一桁とかなり寒くなったが、快晴の日々が続いていた。冬苺『フユイチゴ』、ご存知ですか。私は初めて聞いて驚いた。イチゴは、春のもの、野イチゴは、初夏などと、イチゴの季節を観念的に決めつけていたので、カルチャーショック。と言うわけで、冬苺を見つけたという、友達から聞いた場所へ出かけて行った。市原市の針ヶ谷と言う所だった。谷あいの傾斜になった、日当たりの良い土手を、這い上がった茎に、木苺と同じような形の赤い実を、沢山付けていた。花期は、9月から10月頃に白い花を付け、晩秋からひと月位かけて、赤い果実になり、11月から1月ころに熟すという。2、3粒、摘み取って、食べてみると、木苺より美味い味がした。冬苺は、冬に熟すので、別名『カンイチゴ』とも言われている。なにか、私にとって、すごいものを発見した気分で帰って来た。

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晴れ渡る、寒空の下、蜘蛛とたわむる

朝も早よから、せっせ、せっせと、尻から糸を引っ張り出し、8本の足を器用に、くねらせ、くねらせ、ひとつ、ひとつ編み上げて、網を張る。じっと、じっと動かずに、網が風に揺れても、木の枝先から、宿ったしずくが落ち、網に当たっても、獲物がやって来て、網に掛かるのを忍耐強く待っていた。山茶花の、花の蜜を求めて飛んできた、『ヒラタアブ』、網を横目でちょっと見して飛び去った。残念、蜘蛛は、悔しそうに前足で頭をかく。ブーンと羽音を立てて飛んできたのは、屁こき虫(カメムシ)、網にぶつかり、慌てて、網の一部を引き千切って、飛び去った。蜘蛛は、またしても獲物を取り逃がし、更に網まで壊された。苦々しい仕草で、破れた網を繕った。突如、大きな獲物が、引っ掛かった。山の端から顔を出したお日様だった。網まで金色に輝き、これは美味そうだと、蜘蛛は、飛びついた瞬間、焼け死んだ。そんな物語を想像しながら、蜘蛛が網を張る様子を、体の冷えるのも忘れて眺めていた。蜘蛛は、虫でなく、動物(節足動物)、だと知っていました。

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冬来たり、寄り添い消えゆくイトトンボ

放射冷却で、ぐっと冷え込んだ朝、遥か向こうに見える丘陵の上から、朝陽が顔を出した。地上を走って届く陽射しは、目を開けられないほど眩しく輝いていた。枯れたススキの穂に宿った露が、白く光り、綺麗な白髪のように見えた。おや、もうすでに姿を消してしまったかと思っていた、イトトンボを見つけて驚いた。それも二匹、枯草にしがみついて止まっていた。飛び去ってしまわないように、足音を忍ばせて、一歩ずつ近づいて行った。そして、スマホをかざして、カメラに合わせ、さらに近づいても、ピクリとも動かなかった。不思議に思い、さらに接近して分かった。夜間のうちに、翅に朝露が宿り、濡れて飛ぶことが出来ずにいたのだ。さらに冷え込んで、翅が凍ってしまったらどうなっただろうなどと考えてしまい、おっと、写真を撮ることを忘れていた。急いで、シャッターを切った。撮った写真を見て、驚いた。オスとメスのつがいだった。胴が細いのがオス、そして、胴が太く、尾の産卵管が膨らんでいるのがメスだ。濡れた翅が乾くまで、寒さに耐えている昆虫の夫婦がいじらしかった。

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冷たい雨の降る朝になった

今朝は、冷たい雨降り。しみじみと秋を観賞する暇なく、突然、冬がやって来てしまったようだ。カメラを持つ手も冷たく、シャッターを切る指先も痺れ、うまく言う事を聞いてくれないことも、しばしばだった。ポケットに手を突っ込んで温めては、シャッターを切り、また、温めるのを繰り返した。明日からは、手袋をしてこよう。昨夜からの雨で濡れた坂道は、落ち葉が積もり、滑りやすく、歩幅を縮めて歩いた。年齢を重ねて来ると、転んで足を骨折したり、腰を痛めたりすると、その衝撃を、一生背負っていくか、寝たきりになってしまうという事を聞き、思い出す度に、歩幅は縮まるので、可笑しかった。この所、何でも値上がりし、特に野菜が高いなどと、主婦の話が耳に入って来るほど、世俗的になって来た。しかし、わが町では、そんなことなど知らない、大根、ブロッコリー、白菜、ホウレンソウ、ニンジンたちは、良く耕された肥沃な畑で、元気良く育っていた。天気がぐずつくのも今日一日で、明日からは、暫く、晴天が続くという。きっと、紅葉狩りに出かける人達も多くなる事だろう。

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成田山新勝寺境内にある公園を朝の散策

ウィークデーの成田山新勝寺の境内は、お参詣の人もまばらだった。午前9時の御護摩が終わり、本堂からご信者さんが階段を下って来た。お母さんに手を引かれ、赤い着物に着飾った女の子が、はしゃぎながらやって来た。そうか、七五三祝いだった。お父さんが先頭で、小学生らしい男の子が続き、家族四人は、とても微笑ましい風景だった。紅葉まつりとあった看板が出ていたので、境内にある公園に立ち寄ってみた。ちょうどモミジが色づき始め、常緑樹の間から顔を出していて、緑と赤のコントラストが、さらに紅葉を際立たせていた。公園内には、三つの池があり、それぞれの池のまわりで色づいた木々が、水面にその姿を映し、まるで鏡の中に、別の世界があるような錯覚を起こしてしまいそうだった。そして、池の中では、色とりどりの鯉が泳ぎ回り、水面に落ちたモミジの葉を、追い掛け回して遊んでいた。その様子をしばらく見ているうちに、幼い頃に遊んだ『鬼ごっこ』を思い出していた。甘酸っぱい思い出と言うのか、走馬灯がグルグルと回っていた。背に当たる、朝の陽射しが暖かかった。

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