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Author:人生まだまだ
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綺麗な花は、皆んな癖がある。

農家の庭先に、『鹿の子百合』が咲いていた。花弁に鹿の子の模様の斑点に似た模様が付いている所からそう呼ばれていた。そして、九州や四国に自生していて、観賞用として育てられてきた。そして、江戸時代に、シーボルトによって、鹿の子百合の球根を、日本から持ち出され、初めてヨーロッパに日本の百合として紹介された花であった。今朝は、ピンクの花に出会うのが多かった。槿(ムクゲ)、合歓の花、昼咲き月見草、リコリス(夏水仙)、立葵、オシロイバナ、そして、中でも圧巻なのは、牡丹臭木『ボタンクサギ』だった。アジサイと同じように、枝先に集散花序(花軸が分岐して、複数の花をつける)をだし、紫陽花のように咲く、綺麗なピンク色の花を咲かせる。しかし、枝葉に臭気があり、綺麗な花でも臭木『クサギ』と呼ばれた。

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ヤマユリの香りが匂う、林道を行く

朝露が作った首飾り、宝石をちりばめた様にキラキラ光って輝いている。誰の首にかけてやろう。首の長い白鷺に似合うかな。いや、青鷺の方が似合うかも。それとも、ケンケン鳴いて、求愛しているオス雉に、あげようか。いやいや、首飾りに触れてしまうと、手元から、パラパラと水玉の宝石が落ちてしまうから、そっとしておこう。心細く、風にゆらゆら揺れていた。林の中で、『山百合』が、咲き始めた。湿度の高い朝は、特に、香りを強く放って、その存在を主張する。少し離れている、私の鼻腔を刺激する程、香りが漂っていた。香りに誘われてやって来たキアゲハチョウ『黄揚羽蝶』や、ハチ『蜂』たちは、我先に蜜の奪い合いを始めていた。蕾を付けたものが、あちこちに見つけられたので、林の中は間もなく、『山百合』の花で飾られる事だろう。この所の天候不順で、降り続いた雨で、普段より倍にまで増水した川は、上流からいろいろなものを運んで来ていた。現在、汚染問題に取り上げられているビニール製品を始め、ペットボトル、刈られた草、野菜類、壊れた家具など、常識のない人に、心が痛む。


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小さな貴婦人が飛ぶ

風の強い日や、雨の日は、揚羽蝶など大型の蝶は、飛ばないが、シジミチョウや、ヒカゲチョウ、セセリは、姿を見せた。ネットで調べると、シジミチョウは、地球では、南極大陸を除くすべての大陸に分布していて、6,000種を超え、蝶全体15,000種の40%近くを占めると言われている。そして、日本に分布する種は、樹頂性(木々の上層部を飛ぶ)のミドリシジミ科と、草原性のヒメシジミの2種類に大別されている事が分かった。意外だと思ったのは、世界に六千種もいると言うのに、日本には、大別すると2種類と、あまりにも少ないように思う。シジミチョウの名前の由来は、羽の形がシジミ貝の形に似ている所から付けられたという。今朝出会ったのは、『ベニシジミ』と、『ツバメシジミ』の二匹と、『ヒメウラナミジャノメ』、『キマダラセセリ』だった。ネットで調べた中で、新知識として、いままで、蝶の数え方を一匹(ピキ)、二匹と数えていたのが、当たり前の数え方事と思っていたのだか、正確には、一頭(トウ)、二頭と数えるのが、学術用語だそうです。牛や馬と同じとは、ぜんぜんイメージが湧かない。しかし、『ウサギ』を、一羽、二羽と、数えている事に違和感がないのも、おかしい事か。

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稲邑からヒョッコリ現れた雉との遭遇

ケンケンと鳴きながら、オス雉(キジ)が、稲の間からヒョッコリ姿を現した。非常に綺麗な姿をしている。目の周りの赤い肉腫が膨らんでいるので、発情期を迎え、メス雉を呼び寄せているのだろう。オス雉は、鳥の中でも、非常に縄張り意識が強く、闘牛の牛の性格に似ているのか、赤いものを見ると攻撃的になる。子育ては、メス雉だけが行い、テリトリー意識の強いオスに比べて、メスは、複数のオスの縄張りに入り、乱婚する浮気者だった。そして、キジは、日本の国鳥として、やたらに捕まえたりは出来ない。今朝の植物との出会いは、葉や茎に悪臭があると言うので、ヘクソカツラ『屁糞葛』なんて名前を付けられてしまった。花を見ると可愛い顔をしているのに可哀そうだ。緑色をしたマムシグサ『蝮草』の果実を見つけた。秋には、真っ赤に色付く。ほかに、一見萩の花に似ているコマツナギ『駒繋ぎ』の薄紫色の花を見つけた。茎や根っこが強く、引っこ抜きにくく、茎に、駒(馬)を繋いで置けることから、その名が付いた植物だ。

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四葉のクローバーを見つけた時の嬉しさと、同じ感動の白い露草

丘陵の斜面で、山路の杜鵑『ヤマジノホトトギス』を見つけた。花びらの斑点が、杜鵑(ホトトギス)の胸の斑点に似ている所から『ホトトギス』の名前が付けられた。そして、山路のと、言うのは、この花を、山路で良く見かけと言う。しかし、いつもの年だと、8月に入ってから9月の末まで見かけたものだが、今年は、いつもの年より、早く花を付けていた。歩いて行く道端には、雨に打たれても元気よく、梅雨の季節に良く似合う花の一つ、露草(ツユクサ)が群生していた。普段だと、見過ごしていくのだが、今朝は違った。青色の中に混じって一本だけ、白色のツユクサがあった。露草と言えば、青色の花を思い浮かべる。そして、白い露草と言えば、常盤露草(トキワツユクサ)だと思っていたが、今朝、初めて、白い露草を見つけた。きっと珍しいのだろう。何か意外な感じを受けて、嬉しくなってしまった。今日は、良い事がありそうな気がした。写真は、山路の杜鵑(ヤマジノホトトギス)

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雨を降らせ、不機嫌な顔の天気なら、こちらは陽気に行こう。

相変わらず雨降りの朝、そちらが不機嫌な顔を見せているのなら、こちらは陽気に行こう。観客のいないマンモスステージは、遥か彼方に送電線の高い鉄塔が、親指と人差し指の間に入ってしまう程、遠くに伸びる広さなのだ。マイクスタンドも無し、スピーカーも無し、良いではないか。歌い出した、ナポリ民謡『オー・ソレ・ミオ』、新鮮空気をメッ一杯吸い込んで、喉が震える程吠えてやる。押しつぶされそうに、低く垂れ込めた雲を、吹き飛ばすように歌い上げた。気分がすっきりとした。すると、視力も鋭くなり、露に濡れ、滑りやすい葉ッぱにしがみ付いた1センチ程の、『シラホシカミキリ』を見つけることが出来た。さらに右足の真ん中の足が一本欠けているのも分かった。また、ミゾソバの花に止まる1センチほどの『ヒラタアブ』も見つけられた。そして、食卓に上る、ショウガ醤油で食べると美味い、隠元『インゲン』は、知っていても、いままで見たことは無かった花を、今朝、初めて知った。純白で清楚な花だった。この花の実であるのだから、美味いはずだ。

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不満を漏らす人はまだ良い、口を閉じた人ほど辛い人

化粧する顔を、撫でる柔らかな薄紅色の刷毛の様な、『合歓の花』は、少しの風でも、飛んでいきそうな、心細い姿を見せていた。夜になると、葉を閉じ、眠った様になる姿から、合歓の花(ネムノハナ)の名が付けられた。ビニールハウスの中では、蔓に沢山の実を付けたぶどう(マスカット)の房が、ぶら下がっていた。ぶどうの実は、規則正しく均等に付くはずなのに、何処かいじけた様に、虫食いのまばらになった状態のものが多く見られた。この状態は、天候不順の梅雨寒の影響が、原因かもしれない。その点、洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)は、白い花を咲かせている中に、すでに、ブドウの房に似た姿で、紫色をした花枝に、沢山の実を付けているものが見つかった。厚く垂れ込めた雲の姿を川面に映しながら、気だるそうに流れて行く川は、一雨降るごとに増水を繰り返し、晴れぬ天気に不満を漏らすように、ざわざわと瀬音を立てていた。自然現象に、不満を漏らす人は、まだゆとりのある人で、本当に困っている人は、不満を漏らす気持も湧かず、口をつぐみ、言葉すら持てないでいた。

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土砂降りの雨を恨んでも仕方ない。気持ちの持ちようで良い日になる。

『この雨の中、出掛けて行くの、馬鹿だね。』という声を、背中で聞きながら、家を出ると、予想以上の降りに、10分ほど歩いただけで、びしょびしょの、濡れ鼠と化した。休日だったので、営業車が少なく、泥水の跳ね上げの心配は、少なくて済んだ。雨で滑りやすい、国道に沿った坂道を下って行くが、上って来る車の数は少なかった。道路の両脇から樹木が繁って、道路にかぶさり、屋根のようになって雨を凌げる場所を見つけ、少し雨宿りをした。生い茂る木の中に、雨に濡れて、色鮮やかにピンクに光る木の実をみつけた。カメラの望遠を伸ばして、覗いて見ると、上溝桜『ウワミズサクラ』の実だった。また、カメラの先には、笹や、空木の枝に付いた雨粒の雫が、レンズになって辺りの景色を映し出していた。歩く度、グショグショ泣く靴の音に、同情しながら、あと少し、ウォーキングを続行した。

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いつ開けるともしれぬ、梅雨空を見上げ、ため息一つ

いつ開けるともしれない梅雨空を仰ぎ見て、ひとつ、ため息をついた。梅雨闇の世界は、どの景色に、カメラを向けてシャッターを切っても、画像に表れて来る場面は、何日経っても変わらないので、日に日にストレスが溜まる。そんな訳で、色気のある植物や、動物などに、自然と興味が湧き、目線がそちらに向いてしまう。景色の写真を生き生きとさせてくれるのは、青空に浮かぶ雲が、重要なのだ。雲が、在るのと、無いのでは、光の強弱が違い、ものに当たる光の濃淡が、立体感を生み出してくれる。また、雲に当たる太陽の光の強弱が、雲の色をいろいろと変化させる。また、地上から立ち上る水蒸気が、霧になって霞み、シルクスクリーンを通した、柔らかな感じの景色を作り出してくれる。『光と影』フランスの印象派の画家たちが、追求して描いた絵画を見た時の感じを思い浮かべて、カメラのファインダーを覗きながら、いつも、その構図を決めシャッターを切って行く。

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平穏を装うその裏に、隠された明暗の事実があった。

曇り空を睨み、ウォーキングから帰るまで降らないと、自分に言い聞かせたものの、案に反して、にわかの雨に、急ぎ足で、東屋へ逃げ込んだ。東屋のベンチに腰を下ろして、空が泣いている涙のような、シトシトと落ちて来る雨を、暫く眺めていた。目の前の緑に染まった景色は、数十年前から変化の無いように見えるのだが、実は、構成している植物が、国内自生の弱い種が外来種に席巻され、帰化植物となってその姿を見せている事は想像できた。植物がその構成を変えながらも、その姿を保っていた。その時、ふと、『ハンセン病家族訴訟、控訴せず』の記事が、新聞のトップ面を飾っていたのを思い出した。何故、今そんな事をと、思い返しても動機はたわいない事、確か、推理作家、松本清張の作品『砂の器』は、背景に『ハンセン病』があったかと思う。ハンセン病に罹った父親と一緒に、村を追われた子供が、苦労した挙句、自分の過去を知られることを恐れ、他人に成りすます罪を犯しながら葛藤して、有名な音楽家となる。まるで、苦労した子が、努力しながら出世していくように見えていたが、ある殺人事件を執拗に追っていた刑事が、その出世の頂点立った音楽家の過去を暴き、どんでん返しで、音楽家は奈落の底に落ちて行く。といった推理小説であったかと思う。現在、目にしている景色の裏には、人間が観賞用として持ち込んだ帰化植物や、荷物や動物たちによって持ち込まれた外来種などが、自生植物を席巻した暴き切れない事実が隠されているという事を考える。

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