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Author:人生まだまだ
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秋と言う天才画家は、風景を一変させる、マジシャンでもあった。

一雨ごとに、秋が深まっていく。秋は、魔法の絵筆を持っていて、日頃、目にする風景を、一日ずつ掛けて、色々な絵の具を使って描いて行く自然画家であった。果たして、完成する絵は、どんなものになるのだろうか、楽しみだ。今朝は、雨降りなので、せっかく塗った絵の具が剥げたりはしないだろうか、心配だ。臭木のガクがピンクに塗られ、真ん中にある種を、目玉のように黒く塗っていた。小さな花が集合した木犀の花を、金色に染め上げ、金木犀に変え、更に、甘い香りが付けられた。緑色にうっすらと赤みを付けていたガマズミを、緑の葉との対比を活かそうと、赤色の絵の具で、ひとつ残らず、真っ赤に塗ってしまった。ミゾソバの白い花の縁に、ちょこんと、小筆でピンクの紅を指して工夫した、画家の手法は、一段と花の可愛さを引き立てた。木々の立ち並ぶ林を深緑色に描き、奥深さを出し、その手前に広がる畑に植えられたニンジンの葉は、柔らかな緑色に描いて、緑の濃淡をうまく生かしていた。どのキャンバスを見ても、一枚として失敗作は無く、人の手では描くことが出来ない、素晴らしい作品だった。また、明日になると、今、見ている作品は、さらに、魅力ある作品になっている事だろう。

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蕎麦と言っても、蕎麦でない、タデ科の植物があった。

天気予報官が、南方洋上で、台風20,21号と二つも発生して、日本列島に向かって、北上していると報じていた。その影響で、明日から暫く、天気が崩れるようだ。今朝も、空全体が雲に覆われ、時々、申し訳なさそうに、太陽が顔を覗かせていた。夏場から、あまり人の出入りの少ない、団地の石段の半分ほど占めるくらいに繁茂していた雑草に、花が咲いていた。小さな花が球状に集まった集合花の姫蔓蕎麦『ヒメツルソバ』だった。花は、まるで懐かしい菓子の金平糖『コンペイトウ』を思い出させるような形をしていた。タデ科の花だが、花も葉も、蕎麦(そば)に似ている所からその名が付いたようだ。蕎麦と言えば、町のそば畑では、花が散って、実がだいぶ膨らんで来ていた。もう少し待てば、美味い新そばが食べられる。写真は、姫蔓蕎麦(ヒメツルソバ)の花です。

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当たり前に使用している、火の歴史に感動する。

早朝、神社の森から、モクモクと煙が立ち上り、焦げた臭いが、辺りの新鮮空気を汚染していた。丁度、帰り道だったので、煙の正体を突き止めに行った。神社に近づくにつれて、水色に煙った焦げた匂いが濃くなってきた。神社に着くと、先日の台風で折れた、樹木の枝や葉を焼く作業が行われていた。焚火は、赤々と炎を上げて、メラメラと生き物のように動き、燃え盛っていた。『火』は、電気で、又は、マッチや、ライターで、簡単に着火する事で、簡単に手に入れることが出来るので、当たり前の事と感じているが、人類と『火』との出会いの歴史を辿ると、142万年前まで遡らなくてはならない。最初に火を用いたのは、アフリカの『原人』で、火を使用した痕跡が1981年にケニアで発見されたと、気の遠くなりそうな話にショックを受けた。そして、その後、人類が、火を利用して生活をしていたと言う確実の証拠が、50万年前の北京原人の遺跡から発見されている。今朝、撮影して来た『火』の写真を見て、改めて興味を持った。さらに、調べて見ると、火は、人類にとって、実用面はもちろん、宗教面においても重要な意味を持っていた。火は『火神』として、神格化して崇拝されるようになった。現在、日本で行われている、鞍馬や吉田の火祭りもその一つだろう。また、身近なところでは、荒神様『コウジンサマ』と言って、激しく崇りやすい性格を持ち、不浄を嫌う事から、火の神として、竈(カマド)の神様になって、台所に祀られている。仏教では、万物を作り上げる、地、水、火、風の四つの元素の一つとして、陰陽道では、七曜(一週間)の三番目に『火曜日』を配している。もっと調べると、面白いことが判るだろう。火は、扱う者によって、有難いものにもなり、怖いものにもなりうる。改めて、火の歴史に感動する。今日は、町のゴミゼロ運動の日だった。

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土砂降りの雨から逃げて、東屋に逃げ込んだ目の前に、真っ赤なカラスウリ。

土砂降りの雨に、小降りになるまで少し待てばよかったと、後悔しても始まらなかった。バラバラと傘に当たる雨を振り払い、とにかく東屋までたどり着こうと急いだ。こんな日に歩いている人はいないだろうと、普段よりスピードを上げて走って来る車の泥水を、傘をかざして何度も避けながら、東屋まで、何とかたどり着いた。濡れたベンチに、携帯していたビニールを敷き腰掛けた。東に開けた景色を眺めると、雨のスクリーンの向こうに、うっすらと秋色に染まり始めた丘陵の尾根が見えていた。そして、そこへ至る山道には、一抱えもある杉の木が数本、台風15号の暴風で、根元から吹き倒された姿で、まだ道を塞いでいた。夏、夕闇がせまる頃から開花し始め、見ている間に妖麗な花と化す、『カラスウリ』が実を結び、緑色の実を育て、季節が進むにつれて、緑、黄、橙色と色を変え、現在は、真っ赤に色づいていた。少年時代、手や足に出来た『しもやけ』に効くと言って、種の周りに付いているヌルヌルしたものを塗り込んだものだった。今、考えて見ると、当時、効き目があったのか、無かったのか、記憶に残っていない。当時は、高価な新薬が買えず、多少の切り傷、擦り傷は、赤チンや舌で舐めて治し、腹下しや消化不良は、正露丸で治していた。寒さで垂れた青鼻汁を、服の袖で拭き、袖はいつもテカテカに光っていた。それに比べ、今の子供たちで、青鼻汁を垂らしているものや、しもやけの手を擦っているものは、一人も見かけない。それだけ温暖化は、進んでいる。

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人は一人になると、自分自身が見えてくる。

秋に降る雨は、一粒、一粒、身体に当たる度、心の底まで沁みてくるように感じる。常緑樹の繁る、森閑とした林の中は、今、色付き始めたケヤキの存在が目立ち始めていた。そして、枝先から落ちて、傘を叩くしずくの音が、何故か、心の扉をノックしているように思われた。人は一人になると、自分自身が見えて来る。今、何をすべきか、今、何が不満なのか、今、何をしたいのか、今、何を求めているのか、今、幸せなのか、今、不幸なのか、自分の存在は、何に役立っているのかと、すべて自問自答してみるが、必ず、誰と、何にと、比べてなど、比較対象の物差しを求めて、一喜一憂しているだけに過ぎない。その点、人類を除いて、自然の中に生きるものたちは、正直だった。陽が射せば、日照りを恐れ、雨が降れば豪雨を恐れ、風が吹けば嵐を恐れた。不幸にも災害に出会った生き物たちは、素直に自然を受け入れ死滅してゆく自然淘汰の原則を守っていた。悲しいかな人類は、仲間同士争い、殺し合い、主義主張を押し通す、地球上の最低な生き物と化してしまった。自分に正直になり、人を憎まず、恨まず、蔑まず、人を心から愛する、優しさと、慈悲の心を持てるなら、再び平和な世界が訪れるだろう。偉そうなことを言っている自分自身も反省しなければいけないと、雨は言っていた。

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災害の実感のないものたちの、対策の机上会議ばかりなり

連続して襲来した台風によって、普段の生活が出来なくなった人々が大勢いる。どうにもならない気持ちを、どうにかしようと、振り絞って出て来る勇気を無くさないでほしいと祈るばかりだ。わが町でも、一歩わき道に入ると、以前の姿はなく、荒涼とした景色が目の前にあった。町として、復旧させる意志があったとしても、そのまま捨て置かれることになるだろう。どこを見ても、台風の後始末をしているのは、老人ばかり、若者たちは、何処に行ったのか、姿が見当たらない。風に乗って運ばれてくる、金木犀の甘い香りを嗅ぎ、嵐から逃れた、畑の片隅で咲く、鮮やかな鶏頭に目を見張り、ハーブの花が咲く間を飛び回り、ホバリングをして、口吻を長く伸ばして、花の蜜を吸う『ホウジャク』の姿を見ていると、時の経つのも忘れ、小さな平和を味わっていた。

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台風で壊された世界の中に、小さい秋見つけた。

『ゴンズイ』の木に赤い袋果が目立つ季節になった。そして、袋果から、黒い光沢のある種が2個、3個と飛び出していた。ゴンズイなどと、面白い名前を付けられたものだと、由来を調べたところ、意外なことが判った。木なのに、ある魚の名前から付けられた事だ。樹皮の模様が、魚のゴンズイに似ていて、その上、木材としては脆く、薪くらいにしか役立たないところが、ヒレに毒があって食べられないゴンズイとよく似ているというので、名前の由来になったとか。良く周りを眺めて見ると、ゴンズイになりつつある人が、何人か見受けられる。実葛(サネカズラ)の果実が、赤く色づき始めた。実葛は、古く万葉集にもその名が詠まれている。また、樹皮に多量含まれている粘液物質を抽出して、整髪料に使用した所から、別名、美男葛『ビナンカツラ』とも呼ばれている。果実の赤味が、さらに増すと、緑の葉に赤い実のコントラストが素晴らしい。今、ウォーキングコースの林の中の道は、15号、19号と続いて襲来した台風の影響で、倒木や折れた枝などで、道が塞がれた箇所が、数カ所もあり、倒木の上を乗り越えたり、折れた枝を持ち上げて、その下を潜り抜けたりしているうちに、小学校時代の運動会でした、障害物競走を思い出した。それでも、落ち葉の中に、赤や黄色に色付いたものや、風で落ちたのだろう、紫に色付いたアケビを見つけると、秋になったのだなと、改めて季節を感じた。



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とかくこの世は、住みにくくなったと、青鷺はボヤいた。

『爺や』と呼んでいるアオサギがいる。本来は、繁殖のため北海道に渡り、寒くなると九州で越冬するのだが、我が町にいるアオサギは、留鳥になっていた。その爺やが、ボヤいた。昔は、あの丘陵の松林に、仲間たちとコロニーを作っていた。それが、開発だと言って、林は伐採され、繁殖場所がなくなってしまい、テンデンに仲間は、散って行ってしまった。この地を離れがたく、いつの間にか、わし一羽となり、いつの間にか年老いてしまった。かつては、野に川に豊富なえさ場があったが、森や林が開発で、動物たちは、住む場所を追われ、食物連鎖が崩れ、姿を消してしまったものもいた。今では、食物を求めるのも困難になってしまった。仕方なく、養殖場の魚を狙ったり、昆虫や鳥類のヒナまでも、捕食するしかなく、今では、人間にとって害鳥扱いにされてしまった。また、さらに温暖化現象による自然災害の発生は、生きて行く上での最大の障害になっていた。人間の世界でも、次世代の後継者が無く、仕方なく、自分の時代で終わりを告げるものもいると聞くが、わしも、連れ合いも無く、子孫を残すことも出来ず、この地で終わる事になるだろう。実に悲しい事だと言って、うつむいてしまった。アオサギの涙のような雨が、草木を濡らしていた。

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人工交配で生まれた花は綺麗だが、やはり、自然の花が良い。

野生で見つけられる『ヤマホトトギス』や、『ヤマジノホトトギス』と違って、庭園などに植えて園芸植物として楽しんでいる杜鵑草『ホトトギス』が、満開の季節を迎えた。一般的によく見られるのは、赤紫色のホトトギスだが、今朝、ある農家で咲いていたのを頂いて来たのだが、白色や紫色のホトトギスの花もある。同じ花なのに、色が違うものは、沢山あるのだが、自然交配で生まれたものは別として、人工交配で作られたものは、人の好みや、趣味で花の形、色、大きさ、様々な要求と共に植物は、いじめられていた。ついでに、花の色について調べて見た。日本で咲く花の中で、一番多い花の色は、『白色』で、花全体で32%を占め、次いで『黄色』の30%、そして、三番目は、『紫、青色』の23%だそうです。誰が調べたのか知らないが、気が遠くなりそうな作業だったかと思われる。世の中には、風変わりな人が、沢山いるものだ。お前もだって、まいたなー

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台風一過、金木犀の甘い香りが漂い、青く澄んだ秋空の広がる朝、

台風に備え養生をした窓ガラスのテープを剥がして、窓を開けると、昨夜から籠っていた空気と入れ替わるように、外の新鮮な空気とともに甘い香りが入って来た。金木犀『キンモクセイ』の匂いだった。昨日まで、台風に気を取られていたせいか、花が咲いたのも、風に飛ばされてしまっていたのだろうか、香り一つ匂っているのに気が付かなかった。そして、目の前には、気持ちの良い、晴天の秋空が広がっていた。増水し、濁って流れる川は、浅瀬はザワザワと音を立てて騒ぎ、深みは、不気味なほど沈黙して、ゆっくりと流れていた。橋上から下を眺めていると、足元がスウスウして、力が抜けて、流れに引き込まれて行くようで、不安な気持ちになる。時々、思い出したように、谷津田を通って吹き下りてくる風は、台風19号の未練のような強風になって、背中を押して吹き抜けて行った。台風15号の時と違って、さほどの被害も無く、我が町は、安堵の気持ちで胸を撫で下ろしていた。

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