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Author:人生まだまだ
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日の出の日射しが暖かく感じる、冷え込んだ朝

国道の墨交差点から、脇道へ入り坂道を下って行く途中で、突然、林の向こうから、朝陽が飛び込んで来た。あまりの眩しさに目がくらんだ。しかし、昨日よりさらに寒くなった朝、暖かい陽射しは嬉しかった。寒さは、日々確実に下がり始めているのが感じられる。坂の途中に妙見様を祀った『墨泉光院』があり、その境内にオハツキイチョウ『お葉付き銀杏』と呼ばれる葉にギンナンが直接付くと言う珍しい公孫樹で、県内では、他に富津市竹岡と神崎町の二か所しか見られないという貴重なイチョウで、今、葉が黄金色に色づき、枝にびっしりと銀杏を付いていた。しかし、カメラの望遠で覗いて見たが、残念ながらお葉付きの銀杏は見つからなかった。農家の生垣の山茶花の赤い花を眺めていると、気持ちが温ってくる。一見すると、椿と山茶花の花が似ていて見分けが付かないと言う人が多い。私流では、散っている花を見て、花ごと落ちているのは椿で、花びらが散っているのは山茶花と見分けている。また、開花の時期は、山茶花が早く、椿が後になる。花の無い時は、葉を透かして見て、葉脈がはっきり見えるのは椿で、中心の葉脈が黒いのが山茶花と見分けている。


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懐かしい家族で囲んだ朝の食卓は、既に思い出の中にあるだけか。

今朝は休日のためか、国道は、コンビニやスーパーを巡る定期便のトラックが時々すれ違う位で、車の往来が少なかった。平日は、車の往来が激しく、遠くにある横断歩道まで行かなくては渡れない道路も、なんなく横断できた。農家の軒下に吊るされたオレンジ色をしていた干し柿は、寒さが募るに従って、黒ずみを増しそろそろ食べ頃を迎えていた。そして、家の中から子供の賑やかな声が聞こえて来た。きっと食卓を囲んで朝食を摂っているのだろう。昔は、どの家庭でもこのような生活の様子が伺えたものだったが、現在は、核家族になり、その上少子化が進み、懐かしい情景は、思い出の中にそっと温まっているだけになってしまった。空を見上げると、朝陽に当たり溶けだした氷が割れ、流れて行くような雲が、大空一杯に広がっていた。丘陵に囲まれた谷津田の中で、黄金色に染まるヒツジ『稲孫』が広がる田圃の真ん中を、滔々と流れる高崎川は、鏡のように澄んだ水面に、大空で展開している雲の動きを、一コマずつ映し出し、朝のドラマのストーリーを作り上げていた。


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名前に相応しく、皇帝ダリアが青空に向かって凛として咲いていた。

総合公園のカエデは、紅葉の季節を迎え色とりどりの顔を見せ、目を楽しませてくれていた。ウォーキングで出合う人たちの会話も、『色づきましたね。』とか、『どこどこの紅葉は、どうだろうね』と、紅葉狩りの話題になったが、結局『出かけても、コロナが怖いから、この公園の紅葉を見て楽しみましょう』となった。ある農家の庭で皇帝ダリアが咲いていた。見上げる程の背丈を伸ばしたコウテイダリア(皇帝ダリア)は、南米、メキシコ、コロンビアが原産で、標高1500m位の場所で育ち、高さ10m近くも伸びるダリアだ。日本では、木立ダリアと呼ばれている。葦原を歩いている時だった。突然、ガサッ、ガサッと葦を掻き分ける音がしたかと思ったら、猟銃を持った三人が現れてドキッとした。相手も何でこんなところに人がいるのだと、けげんそうな顔で近づいて来て『猟をしているので、気を付けてください』と言った。そっちこそ気を付けてと言い返したかったが、相手は三人、『はい、気をつけます』と、素直に答えたが、何か割り切れない気持ちがした。だが、ここは禁漁区ではなかった。負けた。


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T植物博士より、したたかな植物の習性を伺う。

やっと11月らしい季節を迎えたと感じる少し肌寒い朝だった。晴れの天気を期待できそうもない曇り空を、恨めしそうに眺めると、空が泣きそうな顔を返して来たように感じて、思わず笑ってしまった。墨泉光院の坂を下りきったあたりで、植物博士のTさんが、後から声を掛けてきた。と言うわけで、今朝のウォーキングは、嬉しい植物教室の授業が始まった。田圃までやって来ると、稲刈りをした後、放って置かれた稲から再び穂が出て黄金色に染まり、稲穂が実っていた刈り入れ前に似た景色を見せていた。この稲をヒツジ『稲孫』と呼んでいるのだと、Tさんから聞いたことがあった。ヒツジとは、どのように書くのかと質問すると、稲のマゴ(孫)と書くのだと言うので、親稲の次世代だから、イナゴ『稲子』が正しいのではないかと言って笑った事を思い出した。今朝の講義は、植物は実にしたたかだと言う話で、植物の実の周りにゼラチン状のヌルヌルしたものが付いているが、何でついているかと言う質問だった。その答えは、鳥に実を潰されずに飲み込まれる事と、発芽までの保護の役目を果たしているそうだ。なるほど、植物の知恵は凄い。


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地球中が病魔の霧に包まれた世界、早く晴れ間が見たいものだ。

嘘か、誠か、今朝の気象現象ほど激しく変化するものは無かった。出掛けには、一面霧に包まれて、白く濁った海底を手探りで歩いているような世界だった。そして、歩いて行く先の霧が薄れ始めると、黒い影で現れた丘陵が、海底で眠る大きな亀が、ぬっと現れた様に見えた。更にその向こう、東の方角にぼんやりと光る丸い姿の太陽が、霧のスクリーンに映し出された。現実にこんな世界があるのだろうかと疑ってしまう程、幻想的な情景が目の前にあった。しかし、その後一時間ほどで、過ぎ去って行く時間に引っ張られ、霧が作ったシルクスクリーンが溶けて行った。その後に現れた世界は、子供の頃、白黒映画が、総カラー天然色と呼ばれた映画に変わった時の驚きにも似た感動が蘇った。霧に包まれた世界が消えて行くように、早くコロナウイルスの蔓延する病魔世界が、過ぎ去って行く時間に引っ張られて、消えて行く事を願った。今朝は、2,3時間の中で演出された気象ドラマを観賞した。


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新緑から落ち葉になるまでのメカニックをT博士に聞く。

冷たい風が吹き、雨の降る朝になった。季節は、一歩ずつ冬に向かって歩いていた。木々は、寒暖差の激しい気候に自己防衛として枝に付けていた葉を切り離すと言うメカニックを植物博士のTさんから聞いた。木は枝から葉に栄養を送り繁らし、そのお礼に葉は光合成により出来た栄養を木に返していた。しかし、日照時間が短くなり、光合成による栄養が届かなくなると、木は枝を通して葉に栄養を送るのをやめる。当然、栄養の補給を絶たれた葉は枯れて行く。その過程に葉は紅葉する。そして、木に見放された葉は、悲しくも散り落ちて行くのであった。話を聞きながら、耳元に『イヴ.モンタンが歌う枯葉』が聞えて来るような気がした。葉が落ちた後、枝に残った彩り豊かな果実たちは、次の世代へ受け継がれていく大切な命なのだ。


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現在は、甘いミカンばかり、あの酸っぱい福来蜜柑(フクレミカン)が懐かしい。

蜜柑生産の北限は、茨城県と言われている。そこで昔から、温州ミカンの半分の大きさにも満たない実と皮の間が空いていて、皮が膨れている様になっている所から名付けられたと言われている福来蜜柑『フクレミカン』が生産されていた。子供の頃、ミカンと言えば、福来ミカンで、酸味が強くて、顔をしかめて食べていた思い出がある。それが現在は、福来ミカンの姿を見る事が少なくなり、温州(ウンシュウ)ミカンが主役になって、農家ばかりではなく、各家庭の庭でも、鈴なりに生った木を見かけるようになった。これも温暖化現象の影響で、ミカン生産の北限がさらに北へ延びているのだろうか。また、農家の庭では、秋明菊『シュウメイギク』が満開になり、冷たくなった風を嫌うように首を振っていた。枯葉の堆積した道を、乾いた音を立てて歩いていると、葉の形が、薬師如来の光背に似ている所から付けられた名前だと、T博士から教えて頂いた薬師草を見つけた。花だけ見ていると、私が知っている、地縛り『ジシバリ』の花に似ていた。


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森や林が、赤、黄、オレンジに染まる季節を迎えた。

森や林が、赤、黄、オレンジに染まる季節を迎えた。しかし、このところの季節はおかしい。全国的に11月に入っているにもかかわらず、夏日を観測している地方があった。ニ,三日前に、わが町でも上着入らずの異常に暖かい日であった。気象予報では、今日あたりから、徐々に気温が下がると言うが、それでも平年に比べ暖かいと言う。今朝は、気持ちよく晴れ渡り、新鮮な空気を呼吸しながらのウォーキングは、快適だった。田んぼの広がる平地を歩いていても、遠くまで見渡せる広大な景色は、隣町まで手に取るように眺められるほどだった。鳥や、昆虫たちにとっても、今朝は歓迎される良き日のようだ。コジュケイが、けたたましい鳴き声を発すると、カケスが、しゃがれ声を上げ、藪の中では、チッチとアオジが鳴く、木のテッペンでは、百舌鳥が金切り声を上げ、川岸ではカワセミがチィチィと鳴きながら川面を滑るように飛んでいた。陽射しの当たる枯葉の上では、アキアカネとヒオドシチョウが羽を温め、小春日和を満喫していた。


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朝ぼらけ

『朝ぼらけ』、夜のほのぼのと明ける頃を言うようだが、その表現に相応しい夜明けを迎えていた。田んぼの真ん中に伸びた農道を、朝日の昇った丘陵に向かって歩いていた。足元には、良き季節を過ごし謳歌した草々が、その役目を終え、疲れ萎え枯れた姿の葉に朝露が宿を借り、朝日を浴びて旅立つ名残を惜しむように光り輝いていた。行く手に川霧が湧きたち、そのむこうに隠された情景は、何を期待させてくれるのだろうか。枯草を踏みしめる音に目覚めたのか、チィチィとカワセミの鳴く声がするが、その姿は見えず、遠ざかって行く鳴き声が、霧の中に吸い込まれていった。陽射しが当たり、一段と赤みを帯びた葉の下に、枝も見えないほどに実を付けた櫨『ハゼ』が浮き上がった。この実から木蝋を採取して、和蝋燭『和ロウソク』などが作られた。きっと電気の無い時代の昔は、和蝋燭のほのかな明かりの中で男女が差し向かいで飲んだり、睦あったり、情緒豊かな時を過ごしていたのだろうと想像する時、陽射しを受けた櫨の葉から暖かさが伝わって来る思いがした。


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人間が起こした自然破壊は、恐ろしい未来を暗示させる。

今朝は、植物博士のTさんと出会い、色々な話をしながら、ウォーキングを楽しんだ。Tさんと出会うたび、植物に対する知識が増えていった。現在、人間界では、収束が見えず増え続けているコロナウイルス感染症の脅威に恐れおののいていた。それに比べ、赤い実、青い実、黄色い実、色とりどりに実る果実で賑わう自然界の中でも、そんなことなどどこ吹く風と、うそぶいているわけにもいかなかった。なぜならば、自然を愚弄した人間界が起こした温暖化現象は、数々の自然破壊を起こした結果、異常気象を発生させ、世界各地で豪雨や、干ばつが起こり、何十年に一度とか、過去にない災害だとか被害甚大なことが現実となっていた。その結果、人間が作った人工的なものは、条件が揃えば、再び短期間のうちに解決されるが、壊された自然は、気の遠くなる程の年月を必要とされる。コロナウイルスだって、自然の中で眠っていたものを、温暖化によって目覚めさせてしまったのかと思うのだが、どうだろうか。写真は、クロガネモチの木


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